それぞれの再出発

ごあいさつ

西広島リハビリテーション病院
病院長
岡本 隆嗣
はじめまして!このブログは患者さん、ご家族の方、一般の方、そして職員にも、 当病院のことをもっと身近に感じていただきたいという思いで作りました。 日々の出来事の中で私が思ったことをつづっていきたいと思います。

 当法人の建物の軒下には、たくさんのツバメの巣があります。毎年この時期に温かくなってくると、たくさんのツバメが巣に戻ってきて卵を生み、孵化したヒナは3週間くらいで巣立っていきます。毎年の光景ですが、4月に入職した新人が育っていく姿や、3月末で退職して法人から離れていく職員の姿と重なり、いろいろな感情が交錯します。

今年の3月もいろいろな別れがありましたが、長年職員の人事業務に尽力して下さったTさんが定年で退職されました。

 

 私が東京から広島に戻ってきたのと同じ頃、長年銀行マンとして営業一本だったTさんが当法人に赴任して来られました。Tさんはちょっと強面(こわもて)ですが笑うとチャーミングな笑顔、情に厚く、真っ直ぐで正直、声が大きく、PCが苦手。こんな思いきり“昭和”の匂いがするTさんに、人事の仕事をやってもらうことになりました。営業からデスクワークになり、40近くも歳の離れた新入職員の面接や採用まで担当してもらいました。今までとは異なる分野の仕事に慣れるまで随分と苦労されたと思います。

一人ひとりを心配して助言し、いろいろなギャップに我慢もしながら、入社した職員が育っていくのを温かく見守ってくれました。最初の頃に担当した職員は、学生時代からTさんにお世話になり、今ではすっかり部署の中心メンバーになっています。成長した職員のことが話題になると、いつも嬉しそうでした。新人職員にとってはまさに親代わりの存在だったと言えるでしょう。時代に合わせて変わっていくTさんは、まさに「成長し続ける“昭和の男”」の代表でした。

 

 先日私はTさんも参加されているある会議の中で、リハビリの大先輩の先生から教えてもらったある患者さんのエピソードを話題にしました。

 左片麻痺、左半側空間無視がある人が会長として、保健師の支援で「当事者グループ」が立ち上がった。会長は糖尿病があったが、入院中は糖尿病があるのに間食をして、退院後しばらくは妻の不在時に砂糖つぼをあさっていたが、徐々にコントロールするようになった。

 理由を聞くと、「今は会を休めない。糖尿病は風邪を引きやすいので、自己管理しなければならない。」との返事があった。役割を持つことが主体的な行動につながることを教わった…。

 

長谷川幹「高次脳機能障害者とともに歩む −当事者グループの活動支援−」MB Med Reha No.229(2018年)

 定年引退後はのんびりと旅行をしたり、またオシャレをして出かけたりしようと思っていたTさんは、退職を目前にこの話を聞き、「何歳になっても“主体的”な社会参加が必要だ」と思い立ちました。急遽就職活動を始められ、見事に次の仕事が決まりました。今まで新人を担当していたTさんが、今度は「新人」として新しい仕事へ「再出発」することになりました。

 

 今月、5年ぶりに当法人全体の「新人歓迎会」を開催しました。コロナウイルスの感染拡大以降、このような催しは全て中止していました。感染対応として仕方がないことでしたが、徐々に現場から笑顔が消え、笑い声まで少なくなった気がしていました。未だにお互いのことや素顔をよく知らない者同士が現場で一緒に仕事をしています。コロナは多くの人命を奪っただけではなく、当法人からも組織として大切な「コミュニケーション」も奪っていきました。

 1年前、扱いが5類になった以降も定期的にパンデミックが続き、大人数での接触については職員に控えてもらっていました。しかし仕事をする上では、お互いの「仕事」を理解するだけでなく、お互いの「こと」を知ることも大切なことです。十分な相互理解がなければ、互いの気遣いや一歩踏み込んだ議論や連携はできません。

 散々悩んだあげく、感染が少ない時期に開催を企画しました。当日まで開催を心配しましたが、何とか無事に終えることができました。普段接することが少ない部署の人とも皆が笑顔でコミュニケーションする姿を本当に久しぶりに目の当たりにし、とても感慨深い思いでした。

 

 今月は出会いや別れの時期ですが、Tさんや当法人にとっては新たな「再出発」となりました。しっかりと連携をとりながら、これからも皆と一緒に歩んでいきたいと思います。