自分にもできる!

ごあいさつ

西広島リハビリテーション病院
病院長
岡本 隆嗣
はじめまして!このブログは患者さん、ご家族の方、一般の方、そして職員にも、 当病院のことをもっと身近に感じていただきたいという思いで作りました。 日々の出来事の中で私が思ったことをつづっていきたいと思います。

 先月末、野球の聖地・米ニューヨーク州のクーパーズタウンで、元メジャーリーガーのイチローさんが、米野球殿堂入り式典でスピーチを行いました。19分間のスピーチは英語で行われましたが、唯一日本語を使ったのは、日本人メジャーリーガーの先駆者である野茂英雄さんへの感謝を述べた部分でした。その後の記者会見でも「野茂さんがプレーしてくれていなかったら、メジャーとの距離は永遠に縮まらなかったと思います。自分がすごく悩んでいた時に、野茂さんの活躍が目に入ってきてすごく感動したんですよね。彼の勇気のおかげで、自分も想像もしていなかった場所に挑戦したいと視野が広がったのです。実際に僕は野茂さんと対戦してましたから。より距離が近づいたというか、野茂さんの活躍のお陰で劇的にそれが変わった。それが自分のモチベーションにつながったということですね。」と語りました。

 

 1995年に野茂さんが挑戦するまでは、日本人がメジャーリーグで活躍するのは難しいと思われていました。評論家だけでなく、多くの選手自身もそのように考えていました。しかし実際に野茂さんの活躍が始まると、それに続く日本人メジャーリーガーが少しずつ増え、これまでに70名以上の日本人選手が海を渡りました。野茂さん以前と以後では何が変わったのでしょうか?あの当時日本人の技術や体格、メジャーへの移籍システムが急に変わったわけではありません。

 以前、広島出身の陸上400mハードルの日本記録保持者である為末大さんが、“一番大きく変わったのは、野茂さんの事例を見て「それは可能なことなのだ」というマインドセットが変わったことだと思います。マインドセットが変わると前提が変わり、行動が変わり、結果に差が出ることの一例です。”と、講演会でお話されていました。ここでいうマインドセットとは、先入観、経験からの思い込みや価値観という意味です。つまり自分が判断や行動することの前提になっている、無意識のものの考え方や見方のようなものと言えるでしょう。

 

 為末さんは、次のようなとても興味深い話もされていました。陸上では有名な話だそうですが、1マイル(約1,600m)レースという競技があり、当時このレースで人間は4分を切ることができないと言われていました。4分10秒まで世界記録が更新されたあと30年間更新されず、肺の容量など生理学的に不可能だ、と専門家まで断言していました。しかし1954年にロジャー・バニスターという選手が、科学的トレーニングを取り入れ、ついに4分の壁を突破しました。これだけだと“凄いですね”で終わる話なのですが、この話の面白いところは、ロジャー・バニスターが記録を破った42日後に、彼の世界記録は別の選手によってすぐに破られます。その選手も3か月後ぐらいに記録を破られ、結局この2年以内に10名以上の選手が続々と4分を切りました。それまで「限界」と思われていたものが、誰かが達成したことでマインドセットが変わり、「あの人に出来たのなら私にも…」と自分にも達成可能な目標に変わり、現実的に考えられるようになったのでしょう。この現象は、今では「ロジャー・バニスター効果」と呼ばれています。

さらにこの話には続きがあります。為末さんは講演の中で、「同じグルーピングの中の人を見て、行動が変容すると言われています。つまり簡単にいうと、ウサイン・ボルトの記録が上がると、北中米の国の選手には影響を与えますが、日本人の記録に影響を与えにくい。反対に日本人の記録に誰が影響を与えるかというと、中国や韓国の記録は日本人に影響を与えるということです。」とお話されていました。実際に日本の男子100mでもこのことが現実に起こりました。10秒00は、1998年に伊東浩司さんが出して以来、日本人にとっては19年間立ちはだかった大きな“壁”でした。しかし2015年に中国の選手がアジア初の9秒台を出すと、その2年後に桐生選手が日本人初の9秒台を記録し、その後も日本人選手が続々と9秒台をマークしました。まさに身近な選手たちの活躍によって、マインドセットが変わったと思えるような出来事でした。

 

 イチローさんは冒頭のスピーチの中で、

「夢はいつも現実的とは限りませんが、「ゴール(目標)」はたどり着く方法をよく考えれば実現可能です。夢をみることは誰にも出来ますが、ゴールを持つことは困難で、挑戦が伴います。ただ「やりたい」というだけでは足りません。本気で何かを達成したいなら、それを実現するために何が必要かを真剣に考えなければなりません。野茂さんの勇気のおかげで、私は突然開眼し、自分の想像すらしたことのない場所に挑戦するという考えを持てるようになったのです…。」

イチロー「米野球殿堂入りスピーチ」2025年7月27日(現地時間)より一部抜粋して引用
イチローさんでさえ、“身近” な人の活躍でマインドセットが変わらなければ、もしかするとあのような高みに到達できなかったかもしれません。
マインドセットが変わるということは、自分が今見ている世界の見え方が変わるということです。なかなか簡単ではないでしょう。しかし「あの人が出来たのなら私にもできるかも…」、「あそこが出来たなら自分たちだってきっとできる」。身近な人の姿から、そのように思いこんで目標を立て、まずはその一歩を踏み出してみること。成功しようが、失敗に終わろうが、その後きっと自分の世界の見え方が変わったことに気づくでしょう。

(参考資料)為末大.「限界をどう超えるか」.オーディオブック,VOOX,2022年.