自分が成長するために・・・(1)

ごあいさつ

西広島リハビリテーション病院
病院長
岡本 隆嗣
はじめまして!このブログは患者さん、ご家族の方、一般の方、そして職員にも、 当病院のことをもっと身近に感じていただきたいという思いで作りました。 日々の出来事の中で私が思ったことをつづっていきたいと思います。

 先月末、広島で第60回目の「織田幹雄記念国際陸上大会」が開催されました。日本初のオリンピック金メダリストである織田幹雄さんの栄誉を称え、出身地である広島で毎年開催されている伝統ある大会です。日本のトップ選手の活躍を間近で観ることができるせっかくの機会なので、スタジアムまで足を運びました。

 

 注目の男子100mは、広島出身の山縣亮太選手やライバルの桐生祥秀選手、昨年広島で開催されたインターハイで10秒00を叩き出した高校生スプリンターの清水空跳選手らが、残念ながらケガで出場できませんでした。その代わり、こちらも地元出身で現在広島大学に所属する山本匠馬選手が優勝し、スタンドは大いに盛り上がりました。

 私がもう一つ楽しみにしていたのは、近年急速にレベルが上がってきた女子100mハードル(100mH)です。現在 “大注目”の競技で、昨年の世界陸上出場をかけた日本選手権では、全種目の最後を飾る「大トリ」に選ばれました。今回も地元出身の福部真子選手を含む、日本歴代1位から4位の記録を持つ選手が出場し、4名とも順当に決勝に進みました。序盤は現日本記録保持者の福部選手がリードしましたが、最終ハードルで田中佑美選手が逆転し、ハイレベルなレースを制しました。こちらもトップ選手の見事な走りに、スタンドが大いに湧きました。

 

 女子100mHは、ここ数年で記録が飛躍的に伸びました。今回の大会に出場したトップ選手たちが、その功労者として口を揃えて名前を挙げるのが、昨年惜しまれつつ引退された寺田明日香さんです。

 日本の女子100mHにおいて、かつて12秒台は夢の記録でした。2000年にジャマイカ系日本人の金沢イボンヌ選手が13秒00を記録して以降、誰もこの“13秒の壁”を突破できませんでした。日本女子選手がこの記録を破るのは不可能ではないかと思われていましたが、2019年、ついに寺田さんが19年間破られていなかった壁を越え、日本女子初の12秒台を記録しました。その後、12秒台で走る選手が続出し、現在では9名が12秒台の記録を持っています。まさに以前お話した「ロジャー・バニスター効果」(院長ブログ2025年8月号「自分にもできる」)のようでした。

 ロジャー・バニスターが1マイル4分の壁を突破したのは、当時まだ珍しかった科学的トレーニングに打ち込んだ成果でしたが、寺田さんの歩みは異なります。意図して、というよりも、むしろ結果的に13秒の壁を突破していきました。

 

寺田さんは、高校を卒業して社会人となった1年目から日本選手権で3連覇を果たし、世界選手権にも出場するなど、あっという間に女子100mHの第一人者となりました。しかし、ケガや摂食障害に苦しみ、2012年のロンドン五輪出場を逃すと、2013年に23歳の若さで引退を決意します。

結婚・出産後はしばらく競技から離れていましたが、2016年、ご主人が関わっていた縁もあり、女子7人制ラグビーで再びオリンピックを目指すことになりました。足が速く、ボールを持つと高い確率でトライまでつなげられるため、次第に公式戦でも活躍するようになります。しかしその矢先、相手選手と交錯して右足首を骨折し、最終的にラグビーは断念することになりました。

しかし走ることが好きだった寺田さんは、2018年12月に再び100mHの世界に戻ってきました。6年半も陸上から離れていたにもかかわらず、2019年の日本選手権で3位に入ると、8月には日本タイ記録の13秒00で走り、9月にはついに日本女子初の12秒台となる12秒97の日本新記録をマークしました。翌年の東京五輪では日本女子ハードルで初の準決勝に進出し、その後も第一線で活躍を続けました。

 

昨季限りで第一線から退いた寺田さんの最終レースには、多くの観客だけでなく、寺田さんの姿を目標にしながら切磋琢磨してきた後輩たちがサプライズで駆けつけ、その競技人生を労いました。回り道をしながらも挑戦し続ける姿は、多くのアスリートだけでなく、それ以外の人達にも、たくさんの勇気と感動を与え続けました。

寺田さん自身は、6年半も競技から離れ、他競技への転向もあったのに、復帰してすぐに13秒の壁を突破できた理由を問われ、次のように答えています。

「ラグビーを経たからこその成長にも気づきました。全然走れなくて辞めたはずなのに、『ラグビーのおかげで脚、速くなってるじゃん!って』。(6月号へ続く)